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尾道・糸崎港


尾道、糸崎港の沿革

糸崎港区
背後の三原市は山陽道の中央に位置し、古くから主要な宿場として、また海路の要衝として栄えてきました。 1582年に小早川隆景が三原城を築城して以来城下町として栄え、1864年には、松浜港として船だまりが築造されました。 1900年には特別貿易港となり、神戸税関支署及び広島逓信局海事部が設置され、1922年には内務省の指定港に編入されました。 1936年、三原市、糸崎町ほか4村合併による三原市政施行とともに、糸崎港と三原港が一体となり、内海諸島や四国との交流拠点として発展してきました。
1953年には尾道港と合わせて重要港湾に指定されました。 1975年の新幹線開業に伴い、三原内港地区は旅客専用港として整備されました。
尾道港区
尾道港は、背後の浄土寺、西国寺、千光寺の三山と、前面の向島との間に横たわる尾道水道にあり、古来から天然の良港でした。 616年に聖徳太子が開いたと伝えられる浄土寺は、この頃すでに尾道が港として使われていたことを示しています。 足利幕府の時代には外国貿易が盛んに行われ、海運業者の活躍の拠点でもありました。 江戸時代には、内海の商港として発展し、1741年には築港計画が立てられ、現在の住吉浜を埋立てて係船施設が築造され、今日の港の基礎が形成されました。 その後、鉄道の発展に合わせて港も発展し、1927年11月には第2種重要港湾に指定されました。 1968年には尾道大橋、1972年には尾道バイパスが完成し、海の玄関口にふさわしい港湾整備が進められていますが、特にウォーターフロントを生かした再開発が2000年12月に完成し、面目を一新しました。
松永港区
松永湾は諸河川から流出した土砂が堆積し、付近の陸域や島によって囲まれた遠浅の湾で、古くから海上交通に利用され、1600年代には各地で塩田が開かれ松永塩の名声を高めていました。 塩の運搬は、専ら海運によって行われ、明治中期には木履工業が起こり、アメリカなどから原木を輸入するための港湾施設整備が求められてきました。 1956年6月には地方港湾の指定を受け、1964年10月には重要港湾である尾道糸崎港へ編入され、国内有数の木材港としての整備が進められています。

港勢


港湾使用料について


港湾施設使用料等については、次のサイトをご参照ください。(広島県のホームページにリンクします。)

≫入港料
≫施設使用料金表(通常使用-広島港、尾道糸崎港、福山港)